へたくそ

川沿いをあるく。角をひとつ曲がるまでのあいだだけすこし走るようなふりをして、あとはずっと歩いている。風がつめたくてずっとここで吹かれていたくなるけれど、わたしがいるのはやさしい詩のなかではないので、すぐに寒くなってしまって、また30秒だけ走るふりをする。

 

ちいさな橋のすみっこに座りこんでこれを書いている。夜に、外で、地べたへ座りこめるようになってしまった。ひりひり尖りっぱなしの一部を除いて(、あるいはその一部のために)わたしの神経は死んだのかもとおもう。コンクリートで舗装されたちいさな川はわたしが動いているとすっかり黙りこくってうんともすんとも言わないくせに、足を止めてほんのすこし身を乗り出すと途端にさわさわと流れ出す。それをじっと息をひそめてやり過ごすときのおおきなけものに喩えるのは、たぶんだめなほうの感傷だと思う。時折ひかりが走ってゆくのが見える。

 

いま、向こう岸に川へおりてゆくための階段があるのが見えて、でもあの柵みたいな扉を勝手に開けて(それとも乗り越えて?)下へゆくことは、きっといけないことだから、しない。あのこの日本語がぼろぼろしているの、ほんとは気になるけど言わないんです。足の甲までしかない浅瀬にさっきから3匹くらい泳いでいる。

 

もういいかげん寒いので帰ろうか、でもまだ名残惜しいし、明日は朝寝坊できるしな、と思って川と家をむすぶ道を5往復してしまった。雲がずいぶんかっこいいのでとりあえず帰ろうと思います。おわり。