はだしと虹、これからのこと

夏に住み始めた部屋は、朝日がよく射して、床が白くて、ざりざりしたはだしがなおのこといびつに見える。

今生のわたしが唯一わりと自信を持っているからだのパーツが手の爪なんですけど(それなりに大きさが揃っていてかたちもまあまあ)、足の爪はてんでだめで、5mmくらいしかなかったりする。そのちっちゃい爪にそろりそろりと赤いペディキュアを塗りながら、ぜんぶおままごとみたい、と思う。隣家のお姉さんに「乾くと剥がせるんだよ」と囁かれながら塗ってもらったピンクのマニキュアの、ざらざらの安いラメのこと。床がずいぶんと白く見える。

 

わたしは大学院の博士前期課程の2年生で、修士論文を出したら入試を受けて後期課程に進学するつもりだったのだけれど、やめた。大学にずっと残って研究をしたいと思っていたのをやめて、でもせめて後期課程の3年間は(たとえ博論が出せなくとも)勉強がしたいと思っていたのもやめて、就職することにした。

学部生のころも、大学院に入ってからも、進学するつもりでいたので就職活動を一切やったことがなくて、まさか人生初の就活が12月に始まるとは思ってもみなかった。就活のアドバイスをしてくれるというサービスに登録してみたけれど、「希望条件などを確認するため電話面談をします、本日中に希望日程についてご返信をお願いします」というメールに焦って返信をしたきり、なんの音沙汰もない。明日のお昼には第三希望の3時間が終わる。

 

あきらめたの、と何回も聞かれる。学部のとき、教員採用試験を受けずに進学して研究をしたい、と言ったときも、ついこのあいだ、就職を目指すことにしました、と言ったときも。学校の先生になるのはあきらめたのね。大学で研究者になると思ってた、びっくり、あきらめちゃったの。

ちがうんです、ほかにやりたいことができて、考えが変わって、それで。なんにもあきらめずにいるために今はこっちを選ぶことにしたんです。胃のうらをそわそわさせながら答えるたび、赤玉サワーが、カシスソーダが、赤ワインが、てのひらに映ってたぷんと揺れる。

あきらめないために、強気なことをいくつも、いくつも言ってきた。自己暗示がじょうずなので、いつだって退路を断って、前に進むしかないようにして、それでなんとかかんとか暮らしてきた。わたしにだってできる、だいじょうぶ、だって強い星のもとに生まれたから。わたしが生まれる前に亡くなったおばあちゃんは、亡くなったときにお月さまの名前をもらったから、月のきれいな夜にはなんだってうまくできる。大きな決断をした日の月はいつでもとびきりうつくしかった。

だから初めてだいじょうぶじゃなくなったとき、大事なひとの首に手をかけてしまったみたいでこわかった。

 

何はなくともひとにだけは恵まれた生だ、と心から思うくせに、「ひとりでもだいじょうぶ」になることばかりを考えて、ひとりでできることなんてなんにもないじゃんと思って、泣いた。わたしなんかがしあわせになろうだなんて、ひとを巻き込んでしあわせになろうだなんておこがましくて、わたしはそのおこがましさをいつでも自覚し、恥じ、そこから遠ざかれるように生きてゆかなくてはならなくて、だけどしあわせになりたくて、泣く。泣くことのおこがましさをまた恥じて、泣いていることがばかばかしいような気がして、もうどうしていいかわからなくなって、笑ってしまう。今だってどうしていいかわからないけれど、まあでも、最終的に笑ってしまえればそれでいいかなという気もする。

 

 

いつだったか、恋人とドライブに出かけた帰り道、助手席から二重の虹を見たことがある。虹の片鱗ですらほとんど見たことがなかったのに、突然ぽんと二重のくっきりした虹が出てきて、よくもまあ奇跡のようなうれしいことがたくさん起こるものだとおもう。あれからうれしいときの気持ちはぜんぶ二重の虹になってしまった。虹、人生にたくさんほしい、これから何度でも虹を見ましょうと強くつよく思う。

わたしの人生はとびきりすばらしいし、これからもっとすばらしくなるにちがいない。だって強い星のもとに生まれたのだから。

 

 

それから余談なのだけれど、就活支援サービスの人はこちらからメールを送ったらすぐに対応してくれた。返事が来ないときはこちらから(できるだけ気軽に、気楽に!)連絡をする、という力は今のアルバイト先で身につけた。できるようになったことも、ちょっとだけど、ちゃんとあってうれしい。