25℃

 

あなたの口から卑猥な言葉を聞いてみたい、と言われたことが何回かある。

曰く、絶対にそんなこと言いそうにないから。

──言ったことある? 女性器の名前とか。なさそう、ないでしょう。

ためらわずに「セックス」と言えるようになったのは大学3年の春だった。

 

地下鉄に乗って数駅ゆけば歓楽街があって、エレベーターでビルの6階まで上がればわたしより3つも4つも歳下のかわいい女の子がお酒を注いでにこにこしている。田舎から出てきた子が好きなの、応援したくなっちゃう、とつぶやきながら、若いママさんはカーテンの奥でさっと白いドレスに着替える。その間わずか20秒。

 

朝からトーストを焼いて食べて吐いて、おうどんを茹でて食べて吐いて、ごはんを炊いて食べて吐いて、きゅうりとおくらのサラダを食べてなんとか吐かずに済んで、デザートを食べたらやっぱり吐いてしまった。

ごめんねわたしのところへ辿り着いてしまった食料たち。来世は何に生まれたらゆるしてもらえるんだろう。

 

それはイイコすぎるんじゃないの、と言われたことが何回かある。

曰く、いや無理でしょ悪口言えば楽しいでしょ。

──人の口に戸を立てるなんてどだい無理な話なんだよ。好意を伝えれば言いふらされるに決まってる。

困り顔で頷いているのがいちばん平和だと思ったのは去年の秋の終わりだった。

 

好きだったはずのひとがいて、それなのに、そのひとのことを考えるとじっとりと汗が背中を伝っていくようになった。気にすることないんだからね、と慰めてくれる先輩のことばに、元気でいてくれるならいいんです、と答えて、でもわたしそんなことほんとうに思えているんだろうか? どれがあなたの意見で、どれがわたしの本心で、いったい、わたし、好きだったひとを使って自分を庇っているだけなんじゃないのか。

柚子小町ソーダ割りは思ったよりあまくなくて、ライムが一片刺さっていた。

 

なにか困難があったり、愛されるには不適格だと思われるような事情があったりするようなときに、それでもあなたは愛されるよ/わたしがあなたを愛するよ、というメッセージが与えられる……という構図にとても弱くって、でも、その構図に泣くときわたしはどこに立とうとしているんだろうと思った。どこで泣いているんだろう、どこに立ったとしてもずるくて傲慢でよくばりなのに!

 

ずいぶん庇うんだね、と対岸のソファで先生は笑った。

好きだったので、と答えて笑い返すあいだ、わたしはただの一滴も泣かずに済む。

春までにあと何人の好きだったひとを過去形で語って、そのうちのどれだけをほんとうにできるのだろう。

相談室はいつでもちょっとあたたかい。

やつあたり

プチシューをほおばる事務のおんなのこの隣で、わたし今ならきっと刺されてあげられる、と思った。

たとえば迷い込んできたすずめばちに。流行り病を防げない注射針に。強盗犯のさみしいナイフに。

それから。

 

 

──個別の、たくさんの、花とかそういったものから抽出された〈うつくしいもの〉という共通点がある。

 

大抵のごはんはつくっている間に食欲を失って、なかば拷問のような気持ちで食べる。

ハイヒールで武装して仕事へゆく女の人の漫画、

恵まれているのはわかっているので、捨て鉢に右手の指輪を増やしてみる。

 

──〈うつくしいもの〉に人間を含むかわかりませんが。

 

ひとつ行えばみっつよっつの非難の声が聞こえてくる。

それらはぜんぶわたしの声をしていて、いいえ、でも、

たのしかった食卓の残滓にばかみたいな量の粗挽き胡椒をかけて口に押し込む。

 

わかるんです、これ男のひとの匂いでしょう、

四半世紀近くも生きてきてまだこんな子どもじみたことをして、

じぶんのことばかり書くわたしのことをなんとでも罵って、

それで、最後の一押しにしてほしい、

だめになったらざまみろって顔するんでしょう。

ベランダの雨ざらしの隈の隈のうつくしい、

物干し竿に右ひざの裏をあてて、足かけまわりをするのが夢なんです。

 

──温めてもヒナは出てこない。

 

 

まちがいないです、うん。

 

ごみばこを隔てて伝染らない口癖があかるくちらばっている。

 

 

 

 

(夢のあるはなしばかりがしたかったのに)

ちいさなばけものの話

とおい川辺のお家にちいさなばけものが棲んでいる。

 

ちいさなばけものは写真を撮るのが好きだった。

時が流れれば流れたぶんだけ、花を、山を、湖を撮りに出掛けて行った。

彼のぴっちりした性格を撮ってきたかのような、間違いなくうつくしい写真を、ふうん、とだけ思っていた。

わたしは反抗期だった。

 

ちいさなばけものはハイカラなばけものだった。

海の向こうで新しいゲームが出るたびに取り寄せて、画面のなかでばんばん銃を撃っていた。

彼のホームページにはうつくしい花の写真と薬莢ちらばるゲーム攻略が並んでいた。

わたしは嘘つきだった。

 

ちいさなばけものは、さいきんすこしずつ色んなことを間違えはじめて、もう写真も撮らないしゲームもしなくなった。陽だまりの棲家でいちにちのほとんどをしずかに過ごしている。

きっとこれから増えることのない完璧な写真を、あなたの手で刷り出された写真を、ほしいと言ったら分けてくれるだろうか。ほしいと言いに帰るまで、そこにいてくれるだろうか。

あたたかくて脆い、グレーの瞳を持っていた。

 

 

ことばにすることは何かを選びそこねることだから、ひとつ語ればひとつ嘘になるのだと思う日があるのです。

いつか対岸へ渡るばけものの、いつか、をぜんぶ嘘にするために、わたしはとびっきりの嘘つきになる。

いつかはいつまでもこなくって、ちいさなばけものは今日もあたたかいまま、グレーの瞳で陽だまりの棲家にねむっている。

 

 

やさしいやさしいばけものの話。

踏む

通学路に色とりどりの紙吹雪が散っていて、ここで何が爆ぜてしまったのだろうと思う。

  

叔父さんになりたいんです。

わたしには兄も姉もいないし、そもそもわたしは男性でないので、逆立ちしたってわたしが「叔父さん」と呼ばれる日は来ないのだけれど。たとえば40代の、そうだな、半ばを迎えたころに、すっと通った背筋と笑い皺をもって、甥や姪を迎えられたらどんなにすてきだろう。品のある襟がよく似合うような年の取り方がしたい。産むことのないかたち、清浄なその胸板をシャツのぼたんの奥にしまいこむとき、どんな気持ちがするのだろう。

 

言いたいことなんてほんとうはなんにもないんです。

あなたの手をとってみて、それで、その手があたたかいことを確かめられたらそれでよかった。

なにも、なにも、わたしはこんなに執着しなくたってよかった、消費することのできるものを消費できるときに消費して、移り気にお気に入りの絵本をえらびとって、春になればこの部屋を置き去りにどこか遠くへ流れてゆけばよかった。

ただすこし、奥歯のふちがするどくなった気がするんです。

 

きっと捨てられないからだの、じとじとした曲線のことを愛せるようになってしまって、執着がこんなにうれしくなってしまって、やっぱりだめになるときは紙吹雪がいいなと思う。道端の雑草に、工事現場のコンクリートに、非常階段のステップに、薄紙の吹雪がぱっと散ったらきれいだろう。そうしたら、一枚だけじょうずに写真を撮ってほしい。

 

いつだってあなたの写真が撮りたくて、だけどまだ、大きな裁ちばさみのようなシャッター音がこわいのです。

紙吹雪がいつのまにか金木犀に変わっている。

かわいくない

恋人にわがままを言って、コンビニでライチティーを買ってもらった。

あかるい深夜。

 

色つきのリップを使っているので、紙パックに挿したストローの口がだんだん透明なピンクになる。そのたびに、ことんと音を立てて、うなじのあたりからなにかが抜け落ちる。

抜け落ちた結果、わたしはとても身軽である。

 

みみたぶのことを耳朶と書くの、とても色っぽいと思うんです。

ピアスは指輪の次につけっぱなしの似合う装身具で、だからピアスをもらうととてもうれしい。それなのにわたしのピアスホールは右のばかりが何度でもぐずぐずになってしまって、結果左のみみたぶにだけいくつも穴があいてゆく。

そんなことでわかったつもりになってていいの。

 

たぶん、たぶんなんだけど、ちょっと、いやかなり、わたしは多動の傾向にあって、いまそれがすごくこわい。

とっちらかって整理がつかなくて、頭のなかがうるさくて、ぜんぶわすれてしまう。

ほんとうは首筋に、ちいさな、赤くてかわいい花のタトゥーを一輪入れてみたい人生だった。

 

関係ないことをしながらのほうが話が頭に入るから、という理由でぼんやり書いていたさして意味のない文章でした。

関係ないことをしてみたけど話は頭に入らなかった。

ライチティー飲み終わったのでおわり。

電光掲示板

高速バスの窓から暮れてゆく空の色を見ていて、これが空の暗さなのか窓の暗さなのかわからない。

わたしはこれ以上泣かないために、友人からもらったおかきを控えめにかじっている。あいがみっつも並んでいる、という声がする。次は上飯田

まぶしい

夏が来たのでリプトンレモンティー500mlの紙パックに魂を売った。
森永乳業に貢ぐ3か月が始まる。

 


うつくしくなりたい、とおもう。

 

うつくしい、ってなんだろう。
欲のないこと。凪いでいること。清浄で、潔白なこと。きらきらしていること。
たとえば、自分のことばかり語らず、外に目が向いていること。ゆたかな感情を持ちながら、それをむやみに爆発させないこと。隠しごとがなくて、どのひとにも平等に寄り添えること。日々なすべきことをきっちりとなしとげ、目標がはっきりしていて、その実現に向けて最大限の努力をしていること。何事にも前向きで能動的で、諦めないこと。

 

すべてを完璧にできるひとばかりでないことはわかっている。
わたしにはそれらすべてが高望みであるということも。
まぶしいな、とおもう。

 

それでも、うつくしさをわたしは捨て置けないのだ。
うつくしくなりたい。
うつくしくなることを諦めることはうつくしくないように感じられるから。

 

けれど、これってたぶんうつくしくないよね、と思う瞬間がある。
うつくしくあることに固執するのはもう完全に欲だし。うつくしくなれると思っているあたり傲慢だし。自分の価値基準にうつくしいなんて名前をつけてしまってはいろんなものを切り捨てて、あるいは見落として、誰かをいたく傷つけるかもしれないのだし。

 

そんなことをぐるぐる考えていたら何もできなくなってしまった。
うつくしくない、の呪縛は強い。

 

途中からずいぶん雑になりましたがリプトンがなくなったからです。
季節限定?の青りんごのもおいしかったです。
終わりにします。

 


余談ですが、大学院へきてちょっとうれしいなと思うことのひとつに いろんな比喩表現に敏感になった というのがあります。「リプトン」でレモンティーを表すのはシネクドキーかしら。勉強がたりないな。